今日のつぶやき

みんなでホッとひと息

2018/12/29
香港のコアラ(その他)からその他へのつぶやき。

こんにちは。
もうずいぶん昔になりますが、卒業生です。
2018年、私にとってとてもよい一年となったこともあり、感謝と祈りを
捧げたいと思い、ここ香港でクリスマスミサに初めて参加いたしました。

 

今の私自身があるのも貴学のおかげであり、それをさせてくれた
両親や家族のおかげだと今改めて思います。

 

2019年、たくさんの貴学の生徒さん達にとって
よい出発の年となりますように。

ずいぶん昔の卒業生とのことですが、
月日が経っても、母校や後輩のことを気にかけていただき
本当にありがとうございます。
香港にいらっしゃるのですね。
お幸せなご様子が、行間からあふれていらっしゃいます。
どうぞ、香港のコアラさんにも、神様の恵みが豊かにありますように
お祈り申し上げます。

2018/12/26
ストーブ(本校の高校生)から先生へのつぶやき。

ずっと気になっていた事があります。
聖和は挨拶、礼儀が素晴らしい学校です。それは日頃の先生方や生活委員の呼びかけ、個人の意識が高いことによるものだと思います。
しかし、…
(中略)
…未熟な高校生からの目線ですが、少しだけ考えていただけないでしょうか。

ストーブさん。
心のモヤモヤを晴らしてくれるようなつぶやきを、ありがとうございます。
同じ職員として情けなくもあり、耳が痛いです。
全先生方にストーブさんの文章をメール配信して、しっかりと注意を呼びかけますね。
ただ、注意を呼びかけても、すぐには変化が見られないかも知れません。
その後も引き続き、根気強く言っていきたいと思います。
そして、私自身もそのようなことがないか振り返って反省いたします。

2018/12/23
tottoko(その他)からその他へのつぶやき。

こんにちは。
貴校を4年半程前に卒業した者です。
現在は愛知県にある薬学部で、薬剤師になるために
毎日勉学に勤しんでいます。
愛知に来て、4年半程が経ちましたが、
大学1年生の頃からずっと友人関係で悩んでいました。
しかし、私は本人達に「あなた達のこういう言動に私は傷ついているんだよ。」と、
言うことが出来ず、気がつけば4年生も終わりに近づいてきていました。

 

先日、12/9(日)に5年生に進級するための第一の関門である
OSCEという5領域6項目の実技試験がありました。
その前の週くらいから私は、4年間ずっと一緒にいた友人達ですが
その子達と一緒にいるだけで、蕁麻疹が出るようになってしまい、
限界を感じたので12/9()OSCEをけじめに、その子達から離れることを
決意しました。
しかし、私が離れた事が気に食わなかったのか
その子達から陰である事ない事悪口を言われる日々が続いています。
その事に関しては、言いたい人には言わせておいたらいいと思ってはいるのですが、
やはり、その悪口が私の耳に入ってくると辛い気持ちになります。

 

私がその子達と一緒にいて我慢してきた事は、
・朝、席を取っててもお礼も言われず席を取るのに置いていた荷物を邪魔と言われる
・午後の授業の席を私に取りに行かせ、自分達はご飯を買いに行く
・みんなが帰ってきてからしか私はご飯を買いに行く事が出来ない
・みんなはあんまり大学に来ないので代理出席をさせられる
・レポート等、課題を丸写しされる
・みんなは授業中寝ているので、ノートの写真を撮られる
・これらの行為に対する悪気は一切なく、お礼もない
・私が真剣に相談したい事があっても馬鹿にされる
等々といったものでした。

 

周りから見ればとても小さな事で、わたしが我慢し続ければよかったのに…と
思われることかもしれません。
ですが、わたしにはもう我慢の限界でした。

 

わたしがもっと、器の大きい人間になればよかったのでしょうか。
わたしの離れるという選択は間違っていたのでしょうか。

 

小中学生のような低レベルな相談で申し訳ありません。

なんと、心が痛むつぶやきでしょうか。本当によく耐えましたね~。
きつかったことだと拝察いたします。私の記憶に間違いなければ、
おそらく貴女は◯◯さんですよね。
貴女みたいに優しくて、真面目で、他人に対して思い遣りあふれる方に、
なんてひどいことをするのでしょうかと、私まで腹立たしく思い、涙が出てきました。
小中学生のような低レベルな相談ではなく、貴女の心をそんなにまで苦しめた人たちが、低レベルなのです。小中学生に限らず、残念ながら大人の社会にも、同じようなことは世界のあちこちであっていると思います。
最近私が読んだ本に、田村耕太郎氏が書かれた「頭にきてもアホとは戦うな」というのがあります。どうぞ、時間がゆるせば読んでみてください。
世の中には、残念ながら、自分の言動がどんなに周囲の人を傷つけているのか、他人の気持ちが理解できない人がいるものです。自分が勤める会社や、組織として協力しなければならずになかなか関わりを断つことができなかったり、利害関係があったりする場合には難しいことかも知れませんが、学校や大学など無理して関係を保たなくても良い場合には、その人たちと距離を空けることはまったく問題ありません。次元の低いことに悩む時間は無駄な時間です。自分の目標を見失わないように、また自分の将来にプラスになることに時間を使ってください。貴女の人柄であれば、社会に出てから素晴らしい人との出逢いが待っています。貴女の高校時代を知っている私は、自信を持ってそう断言します。
陰口や・悪口を言っている人には勝手に言わせておきなさい。貴女のこの苦しみの経験は、貴女がよりいっそう他人を思いやることができる人として、貴女を成長させることになるはずです。
最後に、シスター渡辺和子さんのお言葉を紹介しておきます。
「どうしても通じ合えない、他人が知りようもない部分というものを、人間は一人ひとりもっています。
その孤独というものを大切にし、わかってもらえない淋しさ、またはわかり尽くせない淋しさを受けとめて、耐えて、生きていくことが大切です。
あなた方一人ひとりは、ご自分はどう思っていらっしゃろうと、宝石です。
そして、宝石になることがおできになります。」
苦しいときには、またつぶやいてください。
あるいは、直接学校に遊びに来てくださっても結構です。決してひとりで抱え込んではいけませんよ。事前に連絡して、私を訪ねてきてくだされば、元日以外は勉強会等々で学校におります。

2018/12/23
I.H(その他)から先生へのつぶやき。

こんにちは。お久しぶりです。
去年結婚して、11月から佐々町に住んでいます。
2年前に佐世保の老人ホームで清掃員をしておりましたが、一身上の都合により9月に退職しました。11月から江迎の病院で清掃員をしています。新しい職場に入ってから1カ月経ちました。まだわからないことや出来てないことばかりで怒られることばかりです。怒られることに対して「自分は出来ないんだ」って責めてしまいます。それでも家庭のために一生懸命働かないといけないと思ってるので、頑張っていこうとは思ってます。
また佐世保に行くことがあれば遊びに行きますね。

シスター渡辺和子さんのメッセージです。
「皿並べのような単調な仕事も、台所でじゃが芋の皮をむくことや、お手洗いの掃除といった、いわゆる”雑用”も、それに愛がこめられた時、尊くも意味ある仕事になるということです。この世の中に、雑用という用はないのであって、私たちがその用を雑にしたときに、それが雑用になるのです。」
と言われています。

 

この世の中には、実にさまざまな仕事があります。
私が教師になって初めて勤めた学校で、先輩に罵られた言葉です。
「この学校は、なんで先生(私のことです)みたいに何にもできない人を雇ったとやろうか、理事者たちはなんもわかっとらん!!」

 

その時、私は何も言い返せない自分が情けなくて、ただただ悔しさに涙がこぼれていました。
あれから30年以上の年月を経ましたが、その時の気持ちは今でも忘れません。
『力を付けよう。』
『誰にも負けない指導力。誰にも負けない教科力。』
『自分がたずさわる生徒や保護者に信頼される教師。』
それを目指して、今日も、いまこの時も頑張っています。
教師という立場は、その仕事柄、生徒から怒られることはありません。
だからこそ、自分がしっかりしないと、学校に恥をかかせることになりますし、なによりも、最悪は、生徒の将来に大きなマイナスとなって取り返しのつかないことになってしまいます。
それは、どの会社でも、どの仕事でも同じなんだと、私はこのシスター渡辺のお言葉であらためて教えられたのです。
I.Hさん、神様は貴女の人としての美しさをみていらっしゃいます。
そして、身近にいらっしゃる貴女のご主人やご家族がそれを支えてくれていることを、ご大切になさってください。
また、いつでも学校に来てください。

2018/12/17
A.K(その他)からその他へのつぶやき。

こんにちは。
私は、7年前の卒業生です。

 

高校在学中はやりたいことはあったのですが
反対されたりすると、すぐに諦めて、
「こうしたら?」と言われたらそっちに進む、
そんな作られたレールの上を歩いていました。
就職も、「この職種があってるんじゃない?」と言われたので
初めは、その職種へ行き、色々悩み
退職して今の職場に就いて
もう丸5年、6年目に突入しました。
こんな私も、今や責任者としてお仕事をしています。

 

本当にやりたいことを見つけて、
「やりたいことは、佐世保では出来ない。」
「福岡や東京でないと出来ない。」と思い、
今年中に佐世保を出るつもりでしたが、
良い出逢いがあり、佐世保で本当にやりたいことが出来ていて
佐世保で絶対に叶えたい夢が出来たので、佐世保にいることに決めました。

 

お仕事も、最初はずっと
「この仕事向いてないなー」とか「この部署嫌だなー」とか
「なんで、私が責任者なんだろう。嫌だなー」とかマイナス思考でした。
でも、考え方を
「この仕事に就いたのは何かしらの意味があって就いてるんだ!ここで自分を成長させよう!」
「将来は人を管理する仕事(マネージャー)になりたいから、責任者もきっといい経験!」と変えたことにより
気持ちが楽になって、少しずつ楽しくなってきました。

 

そのお陰なのか、 プライベートでもやりたいことが十分に出来ていて、
忙しいけれど、とっても楽しくて充実しています。

 

夢を言葉にするのもすごく大切だと思いますが、
それだけでなく、
今ここで何が得られるのだろう?
今ここに自分が居るのは何かしら意味があってここに居る。
ここで何を勉強するのか?どうしたら成長出来るか?
と問いかけて、生活をするといい事も起こると信じてます。

 

置かれた場所で咲きなさい、
在学中よく言われてて、在学中はよく意味が理解できなかったのですが
きっとこういうことだろうなぁ…と
卒業して随分と月日が経過してから理解出来るようになりました。

 

生徒の皆様は、勉強や部活大変だと思いますが
頑張ってくださいね!

先生方、また聖和にも遊びに行きますね!

「置かれた場所で咲きなさい」という、Sr.渡辺和子さんの著書はお読みになりましたか?
「随分と月日が経過してから理解できるようになりました…」とおっしゃっていますが、
その若さで今の気持ちを悟られたということは、とても素晴らしいことです。
人はついつい、嫌なことがあったり仕事に対してやり甲斐が感じられなかったりすると、
自分が置かれた環境に不満を持って仕事をしてしまいます。私もこれまで何度もありましたし、
これからもあるかもしれません。
ただ、年齢を重ねていくと周囲の人のことが少し見えるようになってきました。
すると、不満を言っている人は、何をしているときにも不満そうにやっているし、嫌々やっているオーラが出ています。
しかし、生き生きしている人が同じ仕事をしていても、そのような感じは伝わってきません。逆に、もっと何かありませんか?と求めているのです。と同時に、その人にはいろんな人が笑顔で話しかけていて、周囲の多くの人から好感を持たれていることも窺えます。そのようなことが続きながら年月が過ぎていくにつれ、同じ年度に採用されたのに、前者と後者の任される仕事が変わっていきました。
どちらがどうという説明は、A.Kさんには不要ですよね。
どうぞ、これからも置かれた場所でしっかりと貴女の花を咲かせてください。
そしてまた、このコーナーで心温まるお話を聞かせてください。

2018/12/04
Je(本校の高校生)から先生へのつぶやき。

良い留学とはなんですか。

これだけの文章では、Jeさんの質問の意図がわかりづらいですから、もう少し詳しく書いていただけませんか?
留学をするとなると、自分の意思や考えをいかに相手にしっかり伝えるかが鍵となります。そのコミュニケーションのあり方が、あなたが質問しようとしている「良い留学」や「悪い留学」につながるといっても過言ではありません。

2018/07/30
三日月(本校の高校生)からその他へのつぶやき。

夏休みに俳句考えなきゃいけない量が多くてつらい…
学年の課題・国語での課題・部活での課題

 

私は何句考えればいいのー!!

高校生が、俳句で悩む…
なんだかそれ自体が素晴らしいことのように思いますが…
あ、次のサイトを参考にして考えてみたらいかがでしょうか

俳句の作り方 初心者でも簡単!俳句を作るコツや作り方の手順


「俳句の作り方 初心者でも簡単! 俳句を作るコツや作り方の手順」

 

詳しい内容は、私も見たことがないので、お役に立てればありがたいです。

2018/06/27
PHOTON(本校の中学生)から先生へのつぶやき。

先生方の前では、とても恥ずかしくて言えないので・・・。
つぶやきコーナーに一言、書き込みます。
私は、聖和の先生方が好きです。

 

 

聖和のオープンスクールで進路相談したあたりからだと思います。
あの時の会話が聖和進学を決めたと言っても過言ではありません。

 

 

入学式から少しの間?ざわついていたクラスでしたが、
今では笑いの絶えない明るいクラスになりました。
先生方が、まとめてくださったおかげです。
安心して学校へ通えます。ありがとうございます!

 

 

学校生活は楽しいばかりではありません。
時折、小さな小さなトラブル発生があります。
トラブル発生後、先生方から注意や指導されても
「その内容には筋が通っている」から、なぜか嫌な気持ちにならないです。
納得できるのは、先生方の指導力と包容力があるからなのではないかと、
私なりに分析しています。

 

 

先生方は・・・
ぶれない信念のようなものがあって、感情的にならない。
感情的に爆発されるのを見たことが無いです。

 

 

どんな内容の話でも最後まで聞いてくれる。
授業とはちがう内容の質問にも答えてくれる。
厳しい時もあるけど、その厳しさの中には優しさが詰まっているような気がします。
だから、聖和の先生方が好きです。

ありがとうございます。
私に限らず、このつぶやきメッセージを読まれた聖和の先生方は、みな嬉しさと気恥ずかしさの入り交じった複雑な感情をいだくのではないかと思います。
と、同時に決して有頂天にならず、それぞれに反省し、ますます凜とした姿勢で、
さらに研鑽を積もうと思われるのではないかと思います。

2018/05/14
ラーメン大好きKKR(本校の高校生)から先生へのつぶやき。

高校から聖和に進学し、たくさん刺激のある毎日を送らせていただいています。
先日英語の先生から、クラス代表で英語弁論にでるという大役を頂きました。
自分のような者がまさか…と思い驚きが止まりません。
英語教育で有名な聖和の英語弁論…レベル高いに決まっとるやないかああああああい!?!?と思い、不安で仕方ないです。(涙)
自分のできる限りは頑張ろうと思いますが、ほんとうに恐怖です。どうしよう…なにか励ましのお言葉をいただけないでしょうか…

 まずは、英語弁論大会の弁士として選ばれたことを喜んでください。出たかったのに選ばれなかったと残念がっている人もいるはずです。
 とは言っても、『本当に自分でいいのか??』と不安になるのも当然ですよね。

 

 私の娘も、聖和生で初めて選ばれたときに、『うわぁ~~~!!!、どがんしよう~~(>_<)!!』と家で大騒ぎしていたのを思い出します。そういえば、夜遅くまで必死になって練習している状況に、わたしも付き合ってあげたことも思い出しました。その娘たちも今は社会人となり、社内での会話は英語のみ、会議はもちろん、お客様とも英語で話すことが中心と聞いて驚きました。海外出張も当たり前みたいに行っている状況…。娘たちが聖和に通っているときには、そんな今の状況を想像すらしていなかったと思いますが、あの弁論大会に出ることから始まっていたのだなぁとあらためて考えてしまいます。

 

 恥をかいたっていいんです。いっぱい練習して自分ができるベストをつくして、当日緊張のあまり頭が真っ白になって、悔しい思いをして、ボロボロに泣くことになってもいいんです。与えられた課題に挑むこと。努力すること、逃げないこと、その結果恥をかくことになったとしても、それら全てが学生時代に経験してほしいことなのです。
「神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない。」といいます。貴女に乗り越えてほしい試練だからこそ、与えられたのです。精一杯全力で挑んでください。陰ながら応援しています。(^_^)/頑張れ~!!

2018/05/02
ふん(その他)からその他へのつぶやき。

中学、高校と6年間お世話になり卒業したくないなと思っていたのを覚えています。
大学へ入学し、はや1ヶ月が経ちました。
新しい環境でまだまだ慣れない友達との人間関係に苦戦しているところです。
そんな時、笑顔で溢れていた聖和での学校生活がどれだけ充実していたのかを思い出します。なかなかうまくいかない人間関係、これほど悩んだことはありません。でも、それでもやっぱり支えてくれるのは聖和でできた友達です。卒業して離れていても連絡は絶えず、いつも励ましてくれます。自分がどれだけ支えられているのかとても実感します。だから、聖和生には今の友達を本当に大切にしてほしいなと思います!大変なこともいっぱいあると思いますが、いろんなことに挑戦して頑張ってほしいです!そして、聖和で良かったと思える学校生活を送ってください!(^^)

ありがとうございます。
聖和の卒業生が、そのように母校のことを思ってもらえることが、そこに勤めるものとしても、教師としてもとても嬉しく思います。
そして、合わせて言わせていただきますが、私たち教師は貴女たちのような卒業生からの言葉に生きる喜びを感じているのです。
今日、たまたまある卒業生からメールをいただきました。
「今度、佐世保に帰りますから、時間をつくって会ってください。」
「とにかく先生に会いたいです。」
辛いこと、嬉しいこと、相談したいことなど、たくさんあるそうです。卒業してもなお、このように頼っていただけることは、まさに教師冥利に尽きるというものです。
それよりも何よりも、聖和で出会った世界を、自分の帰る場所として=“ふるさと”として思っていただけることが、本当にありがたく思います。隣人愛の湧き出るところ。それが聖和なのかも知れませんね。