心のとびら
先生から伝えたい言葉
生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。
もうすぐ高総体・中体連が始まります。選手の皆さんは本番に向けて最後の仕上げの段階に入っているところでしょうか。今まで培ってきた経験を活かして悔いがないように全力を出し切ってきてください。
しかし、頑張るのは選手の皆さんだけではありません。このような特別な大会の中で一番選手を勇気づけるのはやはり皆さんの応援なのではないかなと思います。私が聖和に来た最初の年と二年目の年はハンドボール部として高総体に出場しました。皆さんもご存じの通りハンドボール部は現在部員不足ですが、その当時も人数が少なくぎりぎりで試合に出場していました。そのため普通の試合のときはベンチに私以外誰一人おらず、観客席で応援してくれる人は一人もいませんでした。しかし、高総体となると数十名にもおよぶ応援団が長崎市であろうとも島原市であろうともスクールバスに乗って参上し、1回戦にも関わらずどの学校にも負けない応援をしていました。劣勢だった試合ではさらに他校の威勢の良いチームからの声援もあり、わずかな時間でしたがその試合では聖和一色の一体感をベンチの一番の特等席からじっくり堪能することができました。そしてその応援は選手たちにとってとても心強い味方となっていたようで、試合が終わった後応援に来てくれた一人一人に「ありがとう」と言って心から感謝の気持ちを表していました。私は学生時代にバドミントンをやっていましたが、こんなに大きな声援を頂いた経験がないので監督の私自身もすごい感動を覚えた記憶があります。応援に来てくださった生徒の皆さん、引率の先生方、スクールバスの運転手さんに心から感謝しています。
今年聖和は、高総体ではバレーボール、バドミントン、ソフトテニスの3種目に出場し、中体連ではバレーボール、バドミントンの2種目に出場します。競技によっては応援の仕方に制限がありますがルールを守って精一杯の応援を選手の皆さんに届けましょう。そして選手の皆さんは最後まであきらめないで戦って来てください。健闘をお祈りします。
余談ですが、ハンドボール部は来年高総体に「出場したい」ではなくて「出場します」。そのときは皆さんの声援をよろしくお願いします。そして一番声援を頂けるようにがんばります。部員の皆さんはがんばりましょう。
おはようございます。
最近私は沢山の人に助けられて生きている事に気づきました。
そのきっかけは皆さんわかって下さっているとおり、私の身体には、8ヶ月になる小さな命がいいます。その小さな命を育てるために私の身体が変化し、そんな私を見て、すれちがう生徒さんに沢山の声を毎日かけてもらっています。
その言葉は、
「先生大丈夫ですか?」「荷物持ちます!!」「赤ちゃんげんきですか?」
そして階段を降りているときには、
「先生が転んだときに落ちないように私が先生の前を歩きます」と言って歩いてくれる人もいました。
…そんな温かい言葉を毎日私は頂いています。もちろん言葉だけではなく、小さい荷物でも「持ちます」といってサッと持ってくれたり、いすをすぐに出してくれたり、本当に沢山の人に助けられて生きているんだなと実感している毎日を過ごしています。今まで助けられていることに気付かなかった訳ではないのですが、今回このようになってからは特に周囲の方々の親切を改めて実感することができました。本当に皆さん毎日ありがとうございます。
そして、もう一つ皆さんに伝えたいことがあります。それは、私がこうなって感じている事です。人はこの世に生まれてくるまでには沢山の奇跡が重なっています。お母さんのお腹に命が芽生えるのは偶然ではなくて大きな意味があって芽生えています。そしてこの命がこの世に無事誕生するまでにはお父さんの大きな期待と無事に産まれてきてくれるかという大きな不安を乗り越え、そして何よりもお母さんが大切に10ヶ月お腹の中で守り、とてつもない痛みと苦しみにたえて産まれてきたということです。そしてそんな皆さんは誰にとっても大切な存在であるという事を改めて感じてくれると嬉しく思います。
おはようございます。
私は今から約3年前ホテルのコンシェルジュというお仕事をしていました。ホテルは宿泊するだけの場所ではありません。見学にいらした方、レストラン利用の方、カフェでくつろぐ方、結婚式・披露宴を行う予定のカップル、会議に出席する方…様々な目的でお年を召した方から赤ちゃんまで実に様々な方にお会いできる素敵な場所です。しかしながら、時として全く予想外のご質問を受けることも多々ありました。
ある日、お食事にいらした年配の女性のお客様をお見送りしていた際に、「こちらのホテルには、窓がいくつあるのかしら…」とふと漏らされたことがありました。ホテルマンになって間もない私は正直、何とお答えしたらよいのか一瞬凍りつきました。なぜなら、恥ずかしながら、当時の私は仕事をする側からの目線だけで、窓がこんなにいっぱいだと掃除が大変だな… と思うだけで、窓の数など考えたことすらなかったのです。
数あるホテルの中から、私たちのホテルを選んで足を運んでいただいたお客様に、「できません」「分かりません」は絶対に通用しません。だからと言って、適当に流したり、嘘をつくのはもっての他です。その事だけは肝に銘じていたことでした。しかし、だからと言ってその時お帰りになられるお客様を待たせて、館内のあちらこちらにある、大小さまざまな窓を数えてまわることが親切なことだとは思えませんでした。
その答えが正しいものかは分かりませんが、とにかく当時の私の中では精一杯、失礼にならないようにとお答えをしました。
「お客様、申し訳ございません。私、毎日館内の窓を磨いておりましたが、実は、いつも窓から見えるすてきな景色に見とれているばかりで、今まで窓の数まで気に掛けたことはございませんでした。教えていただき、本当にありがとうございます。お客様のまたのお越しの際までに、館内の窓の数と一番素敵な景色が見える窓を探してみたいと思います。その際には、ぜひご案内をさせて下さい。」
…このようなことをもっと自然に言ったと記憶しています。
残念ながら、そのお客様にお伝えする機会がないままになってしまいましたが、その後、館内の飾られている絵画について、建物の木材や石材の名前、産地、メーカーなど気になったことは何でも調べました。次にどんなお客様から、どんな質問がきても絶対に答えたいという思いから始めたことでしたが、ホテルのことを知ってますます愛着が湧いてきました。
人間誰しも知らないこと、分からないことがあって当然だと思います。大切ことは、その後どう考え、どう行動するかなのではないでしょうか。
学校では、忘れ物をした時の「忘れました」、授業で指名された時の「分かりません」という言葉をよく聞きます。しかし、それはただの報告にすぎないと私は思います。だからその後にあなたが何をしようとするのかを考えて、できれば口に出して、行動して、はじめてあなたの「すみません」という気持ちが相手に伝わるのではないでしょうか。誠意を見せることは、人と人とが関わり合う中でとても大切なことだと思います。あなただったら、「すみません」の後に、どのような言葉を付け加えますか。または、どのように行動しますか?
さて、少し偉そうなことを言いましたが、もちろん、私が中学生・高校生の時にそんな事を考えていたかと言うと…働かせていただくようになってから、周りの人たちから学んだこと、気付かされたことが沢山あります。私が気付いたことを自分の後輩である皆さんたちに、少しでも還元できたらと思っています。
私は、聖和の皆さんには、周囲から自ら学ばせていただくという常に謙虚な姿勢で、そして、ただ指示を待つのではなく、自分自身で考え、行動ができる人になってほしい。「やっぱり聖和出身の生徒さんは相手への気遣い・心遣いがすばらしいね。」そう一人でも多くの人に思っていただけるような人になってほしいと願っています。そのような思いで、私はこの聖和女子学院でお仕事をさせていただいています。
さあ、今朝もすてきな笑顔と挨拶から一日を始めましょう。
おはようございます。1年Eクラス英語科担任の戸田です。
みなさん、今日はいよいよ今年度最後の行事でもある合唱コンクールですね。今までの練習の成果を00%出し切ってがんばってください。
つい先日の話です。4年前に聖和を卒業した生徒3名が学校に遊びにきました。3人とも就職が決まり4月から晴れて新入社員になるということで、期待と不安でいっぱいの表情でした。高校卒業以来会ってない生徒もいたので、私たちは思い出話に花を咲かせました。さて、その中の1人はご両親が佐世保市内にある病院を経営されており、その生徒がつぎのように話してくれました。彼女のお母様が彼女にこう言ったそうです。「いろいろな人をうちの病院で雇うけど、やっぱり聖和の子は違う。聖和の子はみんな努力家で頑張り屋さんよ。」
さて、これもまたつい先日、聖和の卒業式があった日のお話です。卒業式後、ほとんどの生徒が帰り、静まりかえった校舎で、高3の卒業生の一人にバッタリ下駄箱で出くわしました。私は、「おめでとう!」と明るくお祝いの言葉をかけました。今だから言えるのですが、その生徒さんは、先生にもたくさん怒られ、指導も何度となく受けて、挙句の果てには学校を辞めたいと思ったこともあるような生徒さんでした。さて、私になんと答えたかというと・・。「先生、私、あの時辞めんでちゃんと卒業して良かった。先生、私やっぱり聖和が大好きです。」
私もこの聖和という学び舎で中学・高校の6年間を過ごしました。私の姉も卒業生、いとこも卒業生、そして聖和時代のたくさんの私の友人もみな卒業生です。もちろん、学校にも坂口眞理子先生や富崎好子先生、梶谷先生、鐘ヶ江先生、清水先生、事務の濵瀬さん、谷口先生、川本先生に松隈先生が卒業生でいらっしゃいます。みんな母校である聖和が大好きだし、誇りに思います。
今年度の卒業式では、普通科第58回、英語科第28回の卒業生たちを送り出しました。今年度の卒業生までの人数をトータルすると、普通科は8,038名、英語科は963名、合計9,001名が巣立っていきました。卒業する際には、必ず聖和の同窓会である聖苑会に入会します。みなさんを見守っているのは、ご両親や先生方だけではないんです。あなたたちの強い味方である先輩方が約9,000人世界各国にいるんです。聖苑会では、みなさんが心地よく学校生活を送ることができるよう、様々な活動をして、学校に寄付をしたりと大きな貢献をしてくださっています。毎年夏には、盛大な同窓会も行われ、世代を超えて楽しい交流をします。みなさんのためにたくさんのご支援をしてくださったり応援してくださっている聖苑会です。現在フェイスブックも立ち上げられております。もしよければ覗いて、先輩方のご活躍を見てみてはいかがですか?いずれ、あなたたちもその仲間に入ります。先輩が道しるべを作ってくださるからこそ、あなたたちも安心してその跡を歩むことができるのです。そのようなつながりを大事にしましょう。私たちは聖和ファミリーです。ファミリーだからこそ、みなさんの明るいニュースを聞けば嬉しく思い、暗いニュースを聞けば、残念に思います。
さて、今回の聖苑会賞は、どのクラスが勝ち取ることができるでしょうか。9,000人の重みがある貴重な賞です。みんなで気持ちをひとつにし、今までの中で一番美しい歌声を披露してください。私も、みなさんの先生として、そして先輩のひとりとして、応援しています。
今朝は、これでおわります。
おはようございます。
今年度も後1ヶ月、卒業式と学年末考査を残すのみです。
少し早いですが、3年生のみなさん、卒業おめでとうございます。
さて、1・2年生のみなさん、テスト勉強は捗っていますか。
残された時間は少ないですが、すべての時間をテスト勉強に回せるわけではないし、
回せたとしても十分な成果が得られないこともあります。
テストに限ったことではないですが、時間の使い方について、いくつか述べます。
1.量より質にこだわること
時間だけだらだらと費やし、やった気になってませんか。
大事なときに、成果を出す集中力が大切です。
2.目標をしること
定期試験、模擬試験、受験、或いは部活動の試合などで、
何が成果といえるのかを知ることで、質の向上に繋がるはずである。
目標とは、どれだけ時間を費やしたかではない。
3.不必要なものを捨てる勇気を持つこと
目標の達成に必要ない事は、時に捨てることも大切です。
何が重要なのか、優先順位をはっきりさせておくと、迷いは生じないなずです。
4.お手本を見つけること
時間は全員に等しいのに、素早く、そつなくこなす人が周りにいませんか。
じっくりと観察し、自分との違いを知り、見習いましょう。
何かと言われていることばかりですが、時間とは限りがないようで、限りがあります。
試験まで…試合まで…受験まで…卒業まで…
時間の使い方は人それぞれであるが、どうせなら、より充実したものにしたいです。
「カメラ向け、手折れし庭の梅蕾、 机の上に、笑顔咲くらむ」
by ひとり
まもなく、巣立つ卒業生を祝福するように、机の上に置いていた、一輪の梅の小枝。
可愛らしいつぼみが、誇らしげに開花し、見る者の心にまで元気を届けてくれます。
おはようございます。今日は、みなさんに、
インドの『ひび割れ壺』のおはなしをしたいと思います。
<ひび割れ壺>
インドのある水汲み人足は2つの壺を持っていました。
天秤棒の両端にそれぞれの壺を下げ、彼は水を運びます。
片方の壺には、ひびが入っていました。
完璧な壺が小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに対し、
ひび割れ壺はいっぱいまで水を汲んでもらっても家に着く頃には半分になってしまいます。
完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、彼は本来の目的を常に達成することができたからです。
ひび割れ壺は、いつも自分を恥じていました。
なぜなら、彼はいつも半分しかその目的を達成することができなかったからです。
二年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで
水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」
「なぜそんな風に思うの?何を恥じているの?」水汲み人足は言いました。
「この二年間、私はあなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。
水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力が
報われることがない。私はそれが辛いんだ。」と壺は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道ばたに咲いているきれいな花を見てごらん。」
てんびん棒にぶら下げられて丘を登って行く時、ひび割れ壺は、お日様に照らされ
美しく咲き誇る道ばたの花に気づきました。
花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着く頃には、
また、水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道ばたの花に気づいたかい?花が、君の通る側にしか咲いていないのに気づいたかい?
僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。
そして君は毎日、僕たちが小川から帰る時に水をまいてくれた。
この二年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。
君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しい花で家を飾ることは
できなかったんだよ。」と。
おしまい。
2月4日立春を過ぎ、運気が変わる月になりました。
今年1月5日付「西日本新聞」にとっても懐かしい言葉を見つけました。
それは、今は亡き母が、中学生だった私に教えてくれた漢字の覚え方でした。
今年は「巳」年、この漢字は「み」、「し」とも読みます。
陰暦三月の最初の巳の日を「上巳」(じょうし)と言って、
三月三日のひな祭りのことです。
この「巳」と似た漢字を2つ思い浮かべてみましょう。実際に黒板に
書いてみるとわかりやすいですね。三文字とも画数は三画です。
1つは「己」(「おのれ」)、「こ」、「き」、「つちのと」とも読みます。
2つめは古典文法でおなじみの「已然形」の「已」「い」、
「すで(に)」、「や(む)」「のみ」とも読みます。
この3つの漢字の覚え方です。三画目の位置をよく見てくださいね。
「『み』は上に、『おのれ』『つちのと』下につき、『すでに』『やむ』『のみ』は半ばまで」
母が教えてくれたあの時の様子がありありと浮かんできました。
記事の結びには、これらの漢字の読みから、「己巳己已巳」(きみこいし)と覚えては?
とあって、往年の名歌手フランク永井が歌った同じ曲名(「君恋し」)を知っていた私は
思わず笑ってしまいました。
日本には、古くから知的遊戯とも言うべき、「言葉遊び」が広く貴族の間で行われていました。枕詞、掛詞、縁語などを駆使した大和歌、和歌が親しまれ、深く浸透した理由のひとつかと思います。
さて、最後に生徒のみなさんに問題です。
「子ども」の「子」、この漢字を12つなげて、何と読むでしょうか?
「子子子子子子子子子子子子」
漢字以外に、同じひらがなが2文字入ります。これがヒントです。
答えがわかった生徒さんは、メモ用紙で結構です。
学年、クラス、答えを明記の上、私までどうぞ。本日(2/12)の午後1時締切です。
ささやかですが、ご名答賞をプレゼントいたします。お待ちしています!
〔解答〕
(ねこのここねこ ししのここじし) でした。
昨日は、ご存じの通り一般入試が行われました。
係の為、学校に来ていた生徒のみなさん、本当にありがとうございました。
受験した中学生が、私に「本当に先輩が優しくて、緊張がほぐれました。」と
そっと耳打ちし、思わず笑みがこぼれました。
私は、早朝、いつもみなさんがお世話になっている伊万里線のバスの運転手さん、
I さんと共に受験生のお迎えに行きました。 I さんの深イイ話や思い出など、
話が尽きないものでした。歳を取れば取っただけ、思い出も多くなるものだと思いました。
その中で、自分が少し歳を重ねたからこそ、思い出されることといえばやはり母の教えです。
23歳を越した今も、昔、母からいわれたいくつかの注意を守っています。厳しいものもあり、
周囲はいつも笑っていましたが、そこには「社会に出て恥をかかないように」という母の愛情が
ありました。その中の1つを紹介したいと思います。
「些細な約束でも大切にしなさい。」という言葉です。どのような約束事も、お互いの
信頼がなければ成り立ちません。しかし、人は、対象や内容によって約束の重要度を図ります。
例えば、「この約束は、家族とのだから破っていい。」「自分一人がごみを捨てても構わない
だろう。」「この課題は、来週までにだせばいいや。」、「この人は優しいから、遅刻しても
怒らないだろう」のように、自分の都合のよい解釈をし、破約を正当化しようとする、
みなさんにそんな経験はありませんか。
約束事の内容や対象によって「守る」「守らない」が決定されることはよくあることです。
しかし、些細な約束を守れない人にどうして重要な約束が果たせるのでしょうか。
この母の教えは、約束の重要度にかかわりなく、常に謙虚に誠実に信頼を高めていく生活を
送りなさいという意味を持っているような気がします。人間や自然との決め事を自身の中で
しっかりと据え、自分に嘘をつかない生き方をしたいと思いました。
今朝の話はこれで終わります。
おはようございます。
言葉というものは、実に不思議です。そして面白いものです。
言葉は、人の心と心をつなぐコミュニケーションの道具です。
と同時に、物事を理解し、考えたり、判断したりするすぐれた
機能を持っています。あるひとつの言葉が、ひとりの人間を
はげますこともあれば、ときとして人の心を傷つけることも
あります。
今日は、『友情』について話したいと思います。
クレアパターソンという人の言葉を紹介します。
「よい友情とは、対等な関係のことです。
1.やりたいことを一緒に決められる。
2.なんでも平等にわかちあうことができる。
3.お互いに信頼しあえる。
4.どんな問題も、力を出しあって一緒にのりこえられる。
5.良いときも悪いときも頼りあえる。
6.それぞれが、他に友達を持っている。」
私たちが生きていくうえで、なぜ「友情」を結び深めることが必要なのでしょうか。
それは、これから歩む人生の道々に出くわすであろう困難を乗り越え、より充実した
人生をつくるために必要なのです。
では、友情とは、友達とどのような関係のことなのでしょうか。
それは、「対等な関係」のことです。
このような関係は、すぐにできるとは思えません。時には言い争いやケンカをすることも
あるでしょう。しかし相手を信頼してぶつかれば相手もまた、信頼してくれるはずです。
この6つの事柄を1つ1つ積み上げる努力を、日々やってみてはどうでしょう。そのことで
「友人」と呼べる仲間を持つことができると思います。
今朝はこれで終わります。
E.N.