心のとびら
先生から伝えたい言葉
生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。
今日は「体の命、心の命」という話をしようと思います。
この話は私の妹が通っていたカトリック幼稚園の園長先生が教えてくれたお話です。私の一家は転勤族であったため、私はその幼稚園の卒園生ではありませんが、その園長先生は卒園生でもない私にも優しく、たくさんの大切なことを教えてくれました。
小学生のときのこと。夏休みに教会学校のキャンプに誘われました。野外炊飯をしたり、川下りをしたりして、楽しい2日間を過ごします。教会学校のキャンプであるため、プログラムには神父様のお話もあり、その中で『恵みの風に帆をはって』という一冊の本をみんなで読みました。登場するのは、「ペトロ岐部神父」という、江戸時代の神父様でした。日本が鎖国をしていた時代、命に代えても神様への信仰をやめなかったという神父様のお話です。衝撃的でした。「命に代えても大切にしたいもの」ってなんだろうと思いました。
その後、私はキャンプの感想とともにその疑問を手紙に書き、園長先生に送りました。すると、園長先生は「もちろん体の命は大切だけれど、心の命はもっと大切なんだよ。体の命はいつかなくなってしまうけれど、心の命はいつまでも残るからね。」と教えてくれました。心の命は神様のもとへ戻るから大切にしないといけないということでした。
キリスト教を信仰していない人には、神様のところに戻る「心の命」って何だろう、と思われてしまうかもしれません。私も幼い頃からカトリックの教えに親しみがあったわけではなかったので、はじめはいつまでも残る「心の命」といわれてもよく理解ができませんでした。ずっと考えていて、ある日、自分なりの答えが出ました。体がなくなってしまったとき、生前、人として素敵な人生を送っていたら、人の記憶に残り、他の人の記憶の中で生き続けることができます。おそらく、みなさんの中にある素敵な人、尊敬できる人というのは、容姿端麗だからというより、生き方や考え方、つまり心の持ちようが素晴らしいからなのではないですか?その部分を私は「心の命」だと考えています。
体の命はもちろん大切です。体が元気でないと心の元気も出ないからです。でも、いつか体の命はなくなってしまいます。体の命がなくなった後、いつまでもどこかに残っている「心の命」。これを育てるには、素敵な人、素敵な作品、素敵な経験に出会うことが必要です。聖和では、聖書を読みますよね。シスターが残してくださった素敵な教えがたくさんありますよね。素晴らしいおこないをした先輩方がたくさんいますよね。せっかく聖和に入学したのだから、「体の命」も「心の命」も大切にできる人になって、卒業をしてほしいと思っています。