お知らせ

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ミチルフランスからの留学生が、いよいよ日本を離れて帰国することになりました。お母様は聖和の卒業生。お父様はフランス人。縁があって聖和に留学生としてきてくれた彼女は、日本の文化に触れ、聖和の生徒たちともとても仲良くなって、帰国の日が近づくと、いつも目には涙を溜めていました…。そんなミチルさんのことが聖和の生徒たちも、大好きでした。フランスに帰っても、聖和で過ごした日々や、聖和のことを忘れないでください。

次の文章は、ミチルさんが「外国人による日本語弁論大会」に出場した時の原稿です。
本人の了解を得て掲載しております。(無断複写・転載禁)

「平和のためにできること ~テロから考える~」 聖和女子学院高等学校1年 ルパーモンチエ・みちる

1月7日、パリの新聞社シャルリー・エブドで12人が殺される事件が起こりました。この新聞社は、社会(しゃかい)風刺(ふうし)をすることで有名で、宗教、フランスの政治、文化などのテーマについて、記事(きじ)を書いています。風刺をしては、何回も 問題を起こして、そのたびに裁判所(さいばんしょ)に呼び出されていました。私も、名前は聞いたことがありましたが、読んでみようと思ったことはありませんでした。 その日、シャルリー・エブドの社内では、水曜日恒例(こうれい)の会議が行われていました。そこに黒い服を着た二人の男性が入っていき、編集部(へんしゅうぶ)の8人を殺害しました。そのメンバーは、風刺画を描く 有名なイラストレーター5人、経済(けいざい)学者(がくしゃ)、校正(こうせい)担当(たんとう)の女性、そしてこの会議に来ていたゲストでした。編集部(へんしゅうぶ)以外には、警官(けいかん)2人と清掃員(せいそういん)がいました。 犯人(はんにん)は兄弟(きょうだい)で、2人ともイエメンに行ってアルカイダのために働(はたら)いていたと考えられています。兄弟の目的は、シャルブと言うイラストレーターを必ず殺害(さつがい)することでした。 2013年、アルカイダは ヨーロッパの有名な人の攻撃(こうげき)対象(たいしょう)リストを作りました。この中には、シャルブの名前が書いてありました。彼がマホメットの人生を風刺画(ふうしが)に描いたからです。 フランス中の人々がショックでした。ホランド大統領は、シャルリー・エブド襲撃(しゅうげき)事件(じけん)の三日後、国をあげて追悼(ついとう)をおこないました。 私の妹といとこは、学校で 一分間の黙(もく)とうをしたそうです。さらに、1月11日には、フランス史上(しじょう)最大(さいだい)規模(きぼ)のデモが行われました。国内では400万人、パリだけでも100万人が集まって、その中にはシャルリー・エブドで働いていた人や、世界各国の政治家(せいじか)もいたそうです。 自由(じゆう)は、フランスの誇(ほこ)りのひとつです。 フランス人が一番ショックを受けたのは、表現(ひょうげん)の自由、出版(しゅっぱん)の自由、報道(ほうどう)の自由、風刺(ふうし)の自由、新聞社に必要(ひつよう)な これらの自由が全(すべ)て、テロによって脅(おびや)かされたことでした。この事件がなかったら、シャルリー・エブドが、フランス人の大切な自由を、勇気(ゆうき)を持ってつらぬいていたことに、気付かなかったかもしれません。 シャルリー・エブドの事件が起こった数時間後(すうじかんご)、”je suis Charlie”, 「私はシャルリー」というスローガンをかかげる人が出てきました。これは、シャルリーエブドの被害者(ひがいしゃ)に心を寄(よ)せ、表現(ひょうげん)の自由を守るためにつくられたスローガンです。この言葉は、ソーシャルネットワーク上で何(なん)万(まん)回(かい)も使われたそうです。元はフランス語ですが、色んな言語に訳(やく)されました。

フランスには、イスラム教の人が多く住んでいます。その人たちは、今回の事件が「イスラム教のイメージを悪くする」「シャルリー・エブドの人を殺したのはイスラム教徒(きょうと)ではなく、殺人犯(さつじんはん)だ」と思っているそうです。 フランスは人権(じんけん)の国だとも言われているため、生きる権利(けんり)を求(もと)めて、外国から多くの人が移住(いじゅう)します。しかし、外国人(がいこくじん)から仕事を奪(うば)われると考えるフランス人もいます。今回の事件(じけん)をきっかけに、イスラム教を恐(おそ)れた人々が、人種(じんしゅ)差別(さべつ)に走り、右翼(うよく)に賛同(さんどう)する人が増(ふ)えていくと思われます。

 日本でも、イスラムの過激派(かげきは)組織(そしき)に関係する事件(じけん)が起きました。それは、シャルリー・エブドの襲撃(しゅうげき)事件(じけん)の、およそ一カ月後(いっかげつご)でした。イスラム国のテロリストが、日本人二人を殺害(さつがい)した事件です。その一人は、フリージャーナリストの後藤(ごとう)健二(けんじ)さん。シャルリー・エブドの時のように、“I am Kenji”のスローガンが、ソーシャルネットワーク上にあふれました。しかし、彼を助けることはできませんでした。  後藤さんと、ヨルダン人パイロットが殺害される映像(えいぞう)を観(み)たオバマ大統領は、イスラム国を壊滅(かいめつ)させる、と強く発言(はつげん)しました。  私は、それを聞いて悲しくなりました。暴力(ぼうりょく)に対して、暴力(ぼうりょく)で応(こた)えるという悪循環(あくじゅんかん)が、おわらないと思ったからです。 日本は暴力にこたえないように、「戦争(せんそう)はしない」と憲法(けんぽう)に定(さだ)めたので、70年も平和(へいわ)であり続けました。戦争で苦しんだ人(ひと)のことを忘れないように、資料館(しりょうかん)や記念(きねん)碑(ひ)が、多く建(た)てられています。 私も長崎の原爆資料館に行って、戦争の恐ろしさを本当に感じました。戦争で苦しむ人はたくさんいても、喜(よろこ)ぶ人は絶対(ぜったい)にいません。 しかし、人間は忘れる動物だと言います。平和であり続けるためにも、過去(かこ)におこった戦争(せんそう)の恐(おそ)ろしさを知り、また次の世代(せだい)にも伝(つた)えていきたいです。